STAR FRONTIER Annex

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「エストポリス」は生きていた

 何気なく入ったコンビニに置いてあった「ファミ通」。ゲーム雑誌を見て衝撃を受けるなんていつ以来のことだろう。表紙に書かれた「エストポリス」という文字列は、まさに懐かしさと衝撃を同時に呼び覚ますものだった。
 まさかまさかと思いながらすぐさまファミ通を手に取ってページをめくる。まさか最終作の「エストポリス伝記3」か? それとも最新ハードに合わせての「1・2」リメイクか? いやいや落ち着け、どうせ名前が同じだけでまったくの別物だろう、これまでもそういうことがあったじゃないか――などと様々な思惑が頭の中を駆け巡っていく。
 果たして辿り着いたファミ通のページには、かつて私が心酔した「エストポリス伝記」とは違ったけれども、確かにこれは「あのエストポリスだ!」――と思わせる固有名詞がズラリと並んでいた。

 思えばこのシリーズほど波乱に満ちた作品も珍しい。ゲーム内容のことではない。様々な「大人の事情」に翻弄されたのである。
 話は15年前に遡る。タイトーから発売された「エストポリス伝記」シリーズは、当初から三部作として作られていたタイトルだった。シリーズはSFC時代に「2」まで発売され、隠れた名作として根強いファンがいた。最終作となる「エストポリス伝記3」も開発が決定し、1998年頃にはプレイステーションで「日本フレックス」という会社から発売されることが決まっていた。
 しかし、この日本フレックスが1998年に倒産してしまい、「3」の開発は止まってしまった。そして「日本フレックスから作品の権利を引き継ぐのは誰か」という問題が起こる。裁判の結果、タイトーが版権を所有する、という結末に至ったらしい。
 聞くところによると、開発会社「ネバーランドカンパニー」が納期を守れず、エストポリス伝記2の発売日を延期したこと、更に売り上げも芳しくなかったことをタイトーは問題視していたという。故にこそネバーランドカンパニーはパートナーを日本フレックスに変えたと見られるが、結局タイトーに版権が戻ってしまった。これでまたエストポリス3には高いハードルが突き付けられた。

 その後、エストポリスはゲームボーイアドバンスで外伝作品、海外版の移植などを発売し、辛うじて命脈を繋いでいた。しかしそれらは、やはりユーザーの求めていた作品とはやや違っていたように思う。
 続編の情報が一向に出てこない現実と、着実に離れていく時間の流れが、ユーザーに諦めの境地をもたらしていたのも事実だろう。動画サイトにも「いつまでもエスト3を待ってるぞ!」と書かれていたかと思えば、「もう死んだ子の歳を数えるような真似はやめようぜ」なんてことも書かれていたりする。
 そのどちらにも「そうだよなあ」と苦笑交じりにうなずいていた。「あのとき日本フレックスが倒産していなければ、エストポリス伝記3はもう5歳になってたはずなんだ」――長い時間の流れの中で、そんな思考に囚われていた人もいただろう。それがやがて6歳になり7歳になり、2009年に至っては11歳になるはずだった。エストポリス伝記2の発売から数えれば14歳だ。続編を切望していたユーザーにとって、エストポリスはまさに「死んでしまった子供」だったのである。

 転機となったのは、業績不振のタイトーがスクウェア・エニックスの傘下に入ったことだろう。
 もう5年かそれくらい前だったと思うのだが、その頃、ユーザーコミュニティで「スクエニだったらエストポリスの再開もあり得るんじゃないか?」などという声もわずかに上がった。
 しかしもう私はその頃にはほぼ諦め切っていて、「スクエニが欲しかったのはタイトーのゲーセンかカラオケだろ。エストの版権なんか欲しがらんさ」などと思っていて、大した興味も示さなかった。しかしこれがその後、2009年には現実になってしまった。未だにこのルートによる復活は信じられない話である。
 だからこそファミ通の記事は「衝撃」だったのだ。14年前に死んだ子供が実は生きていた。そりゃ誰だって衝撃を受けるだろう。しかも発売予定が2010年の2月25日だって? おいおい、エストポリス2の発売が1995年の2月24日だぞ? 15歳の誕生日とほとんど同時だなんて、何かの因縁を感じずにはいられないじゃないか。我が子が久しぶりの誕生日を家族と迎えるのだ、そりゃもう盛大に祝ってやらねばなるまいよ。

 作品はどうやらエストポリス2をベースに大きく作り変えたものになるらしい。
 やはりこういう変更は止むを得ないのだろう。15年前と比べてゲーム業界は何もかもが変わっている。ハードも違えば技術もかなり違う。オールドユーザーが期待していた作品と違っていたとしても、それは仕方のないことだ。15年前と同じゲームを出すわけにはいかない。これもまた、大人の事情だ。
 だが、それでも今はあの「エストポリス」が生きていたことを喜ぼうじゃないか。そしてその新たなエストポリスがどんな楽しみを提供してくれるのか。シリーズの存命を祝うとともに、今から2月25日を心待ちにしていようと思う。
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2009年夏の高校野球第16日・決勝

日本文理
011 000 115=9
200 006 20X=10
中京大中京


 1953年、高知県の土佐高校は夏の甲子園決勝で、延長13回の末に愛媛・松山商に敗れ、準優勝に終わりました。しかし、その溌剌としたプレーと伝統の全力疾走が評価され、当時の新聞は「優勝旗なき優勝校」と土佐高を称えたと言います。
 そしてこの2009年、夏の甲子園の決勝戦。敗れた日本文理も「優勝旗なき優勝校」と呼んで差し支えないのではないか。そう思いたくなるほど、日本文理が見せた反撃は素晴らしかったです。
 6点リードされた日本文理は9回二死という絶望的な状況にまで追い詰められたところから驚異的な猛反撃を開始しました。4安打に3四球と、少しずつできることを積み重ね、繋いで繋いで中京大中京を猛追。その背中が視界に入り、もう真後ろにまで迫ったその瞬間、日本文理の球運は惜しくも尽きてしまいました。
 二死一、三塁から8番・若林が中京・森本の直球を芯で捕えました。打球は痛烈、同点か! と誰もがあっとした瞬間、ボールは中京の三塁手・河合のグラブに吸い込まれました。運命の分かれ道と呼ぶにも余りに際どいライナーでゲームセット。もう1メートル左右どちらかに逸れていれば。飛んだところが不運としか言いようのない打球でした。

 試合は前半、互角の攻防を繰り広げ、後半に中京が突き離す展開でした。特に6回裏、堂林の勝ち越し2点適時打に始まる猛攻は、そのまま試合が決まるかという展開でした。
 特に二死満塁、中京の6番・伊藤隆比古の一塁寄りの投手ゴロで、一塁手武石も打球処理のために前進。伊藤投手が捕球して一塁へ送ろうとするも、武石はベースカバーに入り切れず、三塁走者も打者もセーフ(記録は内野安打)となって失点。手痛いミスでした。直後に伊藤は7番・柴田に走者一掃の左越え二塁打を浴びて、この回6失点。大きくリードを広げられてしまいました。
 日本文理はこの失点が痛かったことになりますが、逆に言えば中京大中京はこの得点があったからこそ、辛うじて逃げ切ったとも言えるでしょうか。日本文理の9回の猛反撃、そして報道での各コメントを見る限り、中京大中京は「勝った」というより「生き残った」という感覚に近いのではないかとすら思えました。

 私の判官びいきも否定しませんが、日本文理の反撃は本当に素晴らしかった。新潟県では今後20年くらいは語られるんじゃないでしょうか。新潟勢にとっては本当に大きな足跡を残しました。
 奇蹟が起こるのではないか――そういう期待を呼び覚まされたくて、野球を見てる人って多いんですよね。
 また来年もこんな高校野球を見たいものです。本当に飽きないんですよねえ、高校野球は。

 中京大中京、おめでとう。日本文理も本当によく頑張りました!
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2009年夏の高校野球第15日・準決勝

 雨はやはり降ってくれなかったか……夏の高校野球は準決勝でした。

第1試合 日本文理(新潟) 2−1 県岐阜商

 新潟勢が決勝に進出することを、大会前は一体誰が予想したでしょうか。この日も日本文理が4試合連続となる二桁安打を放ち、エース伊藤も二桁奪三振の好投。これまでの新潟勢とはまったく質の違う強さがあります。
 県岐阜商は今日もエース山田が粘りの投球でピンチを切り抜けます。しかし打線がこの日は繋がりませんでした。特に惜しかったのは3回一死二塁と8回無死二塁。特に後者は2番・藤田の痛烈なライナーが遊撃・高橋に好捕され、走者も戻れず併殺となってしまったプレーです。
 しかし、これも県岐阜商のミスとは言い難い。わずかに球運が及ばなかったということでしょう。
 県岐阜商の今大会の奮闘は素晴らしかった。PL学園、帝京と東西の横綱を連破し、古豪復活を華麗に宣言。低迷していた東海地区の強豪の歴史を振り返れば、凄い実績がそこから出てきます。出場回数27回、春夏4回の優勝、6回の準優勝……先輩たちに恥じない戦いぶりでした。
 今回は惜しくも準決勝で敗れましたが、「県岐商はこうでなくては」と思った方も多いでしょう。この強さを維持して欲しいと願います。

第2試合 中京大中京(愛知) 11−1 花巻東(岩手)

 私が「菊池雄星」の名を知ったのは2年前の7月でした。地方大会の記事を読んでいたとき、「岩手の花巻東高に145km/h以上の速球を投げる凄い1年生がいる」という情報を得ました。
 花巻東? 名前は聞いたことがあるけれど、甲子園の常連校ではありません。だから妙に気になっていました。
 その「凄い1年生」は1ヵ月後、甲子園にやって来て救援登板も、新潟明訓に0−1で敗れました。
 しかし、「2年後はこの投手が高校野球の中心になるかもしれない」。根拠もなく、ただ願望に近い中でそう思い、一人の東北生まれの野球ファンは、こうして彼に夢を見ることになりました。
 今春、選抜大会でその実力をいかんなく見せつけた菊池雄星は、そんな野球好きの願望を現実のものとしました。全国の強豪を薙ぎ倒して堂々の準優勝を果たし、彼ならばあるいは東北地方に優勝旗をもたらしてくれる。その願いは日に日に強まっていきました。

 その頂点をかけたマウンドに彼がいない。この時点で、私の夢は半ば霧消していたと言ってもいいでしょう。息をするだけで痛むという背筋痛では、彼の登板回避も止むを得ません。
 試合展開も苦しかった。4回表、一死一、三塁からスクイズ失敗の併殺を見た時点で「ああ、これで中京の勝ちだな」と思ってしまいました。
 直後に中京大中京の猛打が炸裂し、救援登板の菊池も11球でノックアウト。花巻東、そして東北地方の野球ファンが彼に託した夢は終わりました。
 ほぼ2年間の長い夢でした。今はもう、「本当にお疲れ様でした」と言うしかありません。
 間違いなく菊池は上のレベルへと進む逸材でしょう。夢の続きはそこで見せてください。

 明日……いや、日付はもう変わりましたね。今日の試合は以下の通り。決勝戦です。

日本文理(新潟)−中京大中京(愛知)

 中京大中京は七度目の決勝進出。過去六度の決勝では全勝しています。
 日本文理がその牙城を崩せるでしょうか。新潟勢が新しい歴史を狙います。

 私も雪国の出身ですから、新潟・日本文理には親近感が湧きますねえ。明日は県の歴史を塗り替える快挙を掴み取って欲しいです。
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